ポテサラの真理
久しぶりにポテトサラダを作った。
レシピを見ながら、ベーコン買わなきゃなとスーパーに行ったり。
そこでふと思ったのが、ポテトサラダのレシピには「フォークの背でじゃがいもを潰し」という文面が当たり前になっているということ。
なぜ「フォークの背」なんだろう。
スプーンではいけないのか、確かにスプーンかフォーク以外のカトラリーでは「潰す」という行為には適さないとは思うのですが。
なぜ「スプーンの背」ではいけないのか。
そんなわけでスプーンの背を使ってじゃがいもを潰そうとしてみました。
結果、
「じゃがいもが逃げる」
スプーンの背では、丸みがフォークよりあるということもあってつるんつるん逃げる。
フォークで潰すときはうまいこと潰れてくれる。
丸みよりも、フォークの刃?爪?の隙間に圧力をかけられたじゃがいもの逃げ道ができているのが「逃げない」原因のようだった。
外に逃げないように、こっち側(潰す力をかける側)に逃げ道を残しておくのがうまく潰れてくれるキモなのか。
フォークできれいにマッシュされていくポテトさんを見ながら、
人間も同じなのかもしれない、
逃げられないようにある程度の反抗を許し、弱いところや欠陥を見せつつ支配すると
支配される側はそのコミュニティから逃げ出す(あるいは見限る)ことをせずに
上層の不備不出来を摘発し、自身の有用感や下剋上など自己実現欲求を満たす過程でそのコミュニティにとどまり続けるのかもしれない。
手の届きそうな敵には頑張れば戦える、そう思わせることがコミュニティを活発たらしめ続ける麻薬のようなものなのかもしれない。
今日は、ポテサラにはツンとこないぐらいお酢を混ぜると、とても美味しくなるんだということを学びました。